イエモン、復活おめでとう!!!
私にとっての“ロックスター”がまた動き始めました。
初日のセットリストを見て、震えています。
とにかく生で再び演奏を聞ける日まで、
なんとしても東海地震が来ないことを祈っています。
で、話は変わりますが、
昨日、演劇界のスター…、いや違うな、
巨匠、重鎮…どれもなんか違うけど、
とにかく日本の演劇界のトップとも言える
蜷川幸雄さんが亡くなられました。
思い返してみれば、
私が自分の意志で最初にお芝居を観たいと思ったのは、
栄のど真ん中に掲げられていた
「身毒丸」の真っ赤な武田真治の大看板に
強烈に惹かれたのが最初のきっかけでした。
当時の看板が、確かコレです。
で、ドキドキしながら観に行った初の蜷川ワールドは、
それはそれは妖艶でものすごいパワーの塊だったんだけど、
正直、話を理解するまでにはいきませんでした(笑)。
数年後に藤原竜也ver.を観た時に、
ようやくなんとなく内容を理解した感じです。
で、その後は
社会人になって忙しかったり、
一人暮らしでビンボーだったりで
しばらくお芝居とは離れてしまっていました。
でもある年のお正月に、
「今年からお芝居をちゃんと観に行こう!」と決意して、
頑張って久しぶりにチケットを取ったのも、
蜷川さんの「エレクトラ」だったんですよね。
蜷川作品と言えば、シャークスピアや古典作品が多くて、
知識と教養の足りない私には
ちょっと小難しいイメージなのですが、
それでもわずかながら拝見させていただいてきました。
「身毒丸」「リチャード三世」「エレクトラ」「薮原検校」「ボクの四谷怪談」「ヘンリー四世」…
今思い出せるのはこれくらいでしょうか。
(ちゃんとと記録に残してないのが悲しい)
でも、改めて大勢の役者さんの追悼コメントをみると、
蜷川さんが演劇界に残した功績っていうのは
とてつもなく大きいのだと感じます。
私が拝見している役者さんのほとんどが、
蜷川学校の生徒だったんですね。
考えてみれば、古典の苦手な私が、
わずかながらシャークスピアの世界に触れられたのも、
あの数々のお芝居があったから。
蜷川さんは、若い役者を積極的に起用してきたことでも有名ですが、そのおかげで若い世代の人でも古典に触れることができたはず。
つまりは、若い役者さんだけでなく、
若い観客も育ててくれていたのだと、
今更ながら気づかされます。
延期になってた公演も、密かに楽しみにしてたのに。
残念でなりません。
週末は、イエモンを聞きながら
過去の蜷川作品のパンフレットを見返してすごそうかなと思います。