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マグロプレイ

この記事は前回の続きです。

 

マグロ釣りごっこって何だ?!

休日の夕方、私の心はざわめいた。私は答えを強く欲していた。

 

ようやく帰宅した狂平に聞く。

「マグロ釣りごっこって、何?」と。

すると、狂平はニコッと笑って答えた。

「今からマグロ釣りごっこやろう!」

 

「じゃあ、お父さんとお母さんは、こっちに並んで。」

言われるがままにリビングの隅に並ぶ私と妻。

狂平はソファに飛び乗ると威勢良く「うぉりゃー」と声を張り上げると同時に、

左右の拳を重ね合わせ、それを頭上へ振り上げる。

 

エア漁師。マグロの一本釣り in リビングの幕開けである。

 

「お母さん、僕が手を振り上げたらジャンプしてこちらに来て!

そして、ピチピチして!」

妻にマグロに扮しろと言っているのである。

 

ためらう妻に、「早く!」と容赦ない狂平の一言。

 

漁師になりきって腕を振り上げる狂平。

恥ずかしそうにうつむくだけの妻。

ある意味、マグロである。

そして、言うまでもなく、妻の目は死んだ魚の目をしていた。

 

そして、私の番。

再び、腕を振り上げる狂平。

下を向き、「ピチピチ」と小声を発する私。

私もまた、ある意味、マグロであった。

 

ちなみに、マグロ釣りごっことは狂平が即興で考えついたもので、

この遊びが行われたのは、後にも先にも、この夜だけだっだ。

 

 

あの一夜、私と妻は、確かにマグロであった。

 

マグロ

私は、マグロである。

私の妻もまた、マグロである。

 

 

ある休日の昼下がり。

私は陽の当たるリビングで読みかけの文庫を片手にウトウトしていた。

隣接するキッチンからはクッキーを焼く甘い香りとジャズの旋律が流れてくる。

 

心地よい贅沢な時間。

まさに休日と呼ぶにふさわしい瞬間を、私は堪能していた。

 

 

小学生になった2人の息子たちの休日の過ごし方といえば、

もう、親にべったりということはなくなる。

今日はそれぞれの同級生と我が家の前で遊んでいるようだ。

 

公園でサッカーやろう!

鬼ごっこがいい!

マグロ釣りごっこやろう!

そろそろオヤツ食べたい。

 

子どもたちの騒ぎ声さえ心地よい。

 

私はソファに寝転がったまま妻の方を向いて、

夕食に出かけるレストランについて、いくつか質問をしようとしていた。

 

公園でサッカーやろう!

ボールどこにある?

マグロ釣りごっこやろう!

そろそろオヤツ食べてもいいよね?

 

ん?

少しの違和感。

 

「えーっと、なんだっけ?」と私。

「なーに?」と妻。

「いや、何でもない」と私は、再び文庫に視線を移した。

 

マグロ釣りごっこやろう!

イヤだよ!

何それ?

マグロっておいしい?

 

「はぁ?」

「ちょっと、急に大声出して、どうしたの?」

「マグロ釣りごっこって、何?」

「何、それ?」

 

どうやら、声の主は我が次男、狂平。

友達にマグロ釣りごっこを提案するも、完全に却下されているようだ。

 

 

マグロ釣りごっこって、一体、何だ!!!

私の休日から優雅さは消え去り、心が波打つように騒ぎ始めた。

 

私は狂平の帰宅を待った。待ちわびた。

 

夕刻、まず、兄の憂輔が帰ってきた。

私は小学校でマグロ釣りごっこなる遊びが流行っていることを期待して聞いた。

「憂輔、マグロ釣りごっこっておもしろいの?」

「は?何それ?」

 

ダメだ。解決しない!

そして、さらに待つこと数分。

ついに、狂平が帰ってきた。

私は玄関に駆け下り、「おかえり」の挨拶もそこそこに問いつめた。

「マグロ釣りごっこって、何?」と。

 

すると、狂平はニコッと笑って答えた。

 

……続きは次回……

kawaii

呼吸器系の調子が悪く、先日、医者へ行った。

 

聴診、よし。

レントゲン、よし。

医者は特に悪いところは無いと言う。

 

そして、最後に肺活量の検査をすることに。

とても可愛い看護師さんが親切に手ほどきしてくれ、

少し照れながらもいいところを見せようとぷーっと一息。

 

1,800ml!

 

何たる!

女子小学生並みの数値を記録したのだ。

 

すると可愛い看護師さんが「肺活量、可愛い〜♡」とニッコリ。

もちろん、このまま引き下がる俺(中年)ではない。

「もう一回、やらせてください!」と、再チャレンジするも、

またもや、1,800ml!

もう、可愛い看護師さんったら、大爆笑ですよ。

 

「いや、今、少し笑っちゃった。ラストチャンス!」

「いいですよ〜、もっと可愛い肺活量を見せてくださいね♡」

「えー、そんなん言われると笑えて、本気出せなーい!」

などとキャッキャ言いながらも、ラストチャンスだと気を引き締め、大きく息を吸い込む——

しかし、看護師さんが変な期待の眼差しでこちらを見ているのが視界に入ってきた。

 

「もぉ〜、真面目にやるんで、あっち行っててよぉ〜」と、俺(中年)。

「だーめ、近くで見るもん♡」と、看護師さん。

 

まさに、付き合い始めて3日目くらいのカップルな感じになってしまったのだ。

俺(中年)はもう、肺活量の数値なんて、どうでもよくなった。

そして、今度、風邪をひいたら、またこの病院に来ようと心に誓ったのだ。

 

 

 

という、夢を見ました。

2015年の初夢です。

 

今年もこんな調子で、ひとつよろしくお願いします。

天才だ。

 

寒い日が続きますね。みなさん体調など崩しておりませんでしょうか。

今日はマンハッンン〜あたりも、とても寒いようですよ。

 

さて、前回のエントリーでご紹介した狂平ですが、どうやら天才だったようです。

 

先日、「第60回 秋の東山動植物園写生大会」に参加しました。

いわゆる、コンクールに参加するのは初めての体験でしたが、

いきなり名古屋市長賞を獲得しました。

※ちなみに、市長賞というのは最優秀賞のことで、学術研究に例えるならノーベル賞ということになります。

 

さて、受賞作品はこれ。

サイのこめかみから足が伸びている!

 

斬新!さすが現代美術の旗手!

キュビズムの登場時もこんな感じだったのではないでしょうか!

 

そして行われた展覧会&表彰式。

市長賞は各年代から1人。

今回の受賞を最も喜び、最も嫉妬した兄・憂輔と一緒に。

 

表彰式では偉い人から賞状や副賞をもらいました。

舞台上では基本、伏し目がち。

ハニカミ王子といったところでしょうか。

新聞にも掲載されたった。写真付きは市長賞の4人だけ。

 

そして、あらためて、私の自画像を描いてもらった。

今回は、格好良くと、お願いして。

私は鼻毛は割とこまめに処理している方だ。

 

さて、天才を育てるにはどうしたものか。

とりあえず、amazonでこれを買うことにします。

あと、スピードラーニングにも入会しなきゃね!

天才か。

先日、「芸術の杜をつくろう」というアートイベントが、

名古屋の中心、セントラルパークで催された。

 

アクリル板に描かれたひまわり達が気持ち良さげに揺れている。

 

この共同展に、一部の間で若き天才と噂される芸術家・狂平が出展していると聞き、

私は休日の早朝から足を運んだ。

そして、多くの作品群の中から狂平の作品を発見!

 

人物の顔色が紫と緑!

 

会場にいた本人に作品解説を頼んでみた。

曰く「ひまわりとゾンビ」とのこと。

しかし、なぜ、爽やかなひまわりに対して、ゾンビなのか。

その理由は語ってくれなかった。

 

芸術は爆発だ!を体現する狂平。

 

私は思いきって、私の肖像画を描いてくれないかと頼んでみた。

すると、ふたつ返事でOK。

狂平はすぐさま筆を取ると、光速の筆づかいで描き上げてくれた。

 

これが芸術というものか……。

 

もはや、何が何かわからん。

ひとつ確実なのは、私が排尿しているということだけだ。

 

プレゼン祭

なんか、春の終わり頃からずっと、プレゼンを続けている気がする。

印象としては、プレゼンだけに追われている感じ。

この半年で大小合わせていったい何本のプレゼンに参加したのか、数える気にさえならない。

真夏のピークは去ったというのに、今も2件のプレゼンが同時進行中だ。

(ここまで、何回プレゼンという言葉を使ったか数えたら4回だった)

 

現在進行中のプレゼンは週明け早々に本番を迎えるので(デザインカンプは完成!)、

今、この時間になって少し、ほっとした気持ちが湧いてきた。

 

と、思ったら、来週から新たなプレゼンのお誘いを2件いいただいた。

さすがに、1件はお断りしたが、この秋もプレゼン祭の様相を呈してきた。

 

企画会社冥利につきます。

 

ちっとも、儲からへんけど。

夏が来れば思い出す。(本当は5行くらいでまとめるつもりだった)

今から20年ほど前。

私は、若き旅人だった。

 

その年の夏休み、私は一綴りの鈍行切符でひたすら北上し、

北海道を一周してやろうと目論んでいた。

私は出発の3か月も前から新しいバックパックを用意し、

時刻表と地図を交互に眺めながら、旅の途中の出会いや、

旅先での冒険を妄想し、胸を躍らせていたのだ。

 

出発当日、私は早々に墓参を済ませるとJR駅のホームで普通列車の到着を待った。

旅の始まりである。

休みなく働くサラリーマン、部活に向かう学生たち。

いつもと変わらない日常を運ぶ普通列車。情緒のかけらもありゃしない。

私は間もなく、そんな列車に運ばれて自分史上最大の旅に出ようとしていたのだ。

旅は長い。その始まりは、こんな調子でいいのだと一人ごちていた。

 

やがて、私の乗るべき列車の足音が聞こえてきた。

東海道本線 熱海行き。私は4時間以上、この列車内で過ごすことになる。

OK。バックパックの中にはお気に入りの文庫から

この旅のためにとっておいた新刊まで、たっぷり詰め込んである。

 

いよいよ列車が近づいてくる。

構内放送が列車の到着を告げる。私の胸は大きく高鳴った。

 

その時である。

私は下腹に猛烈な、締め付けるような感覚を覚えた。

いつものアレだ。

 

私は緊張をすると、ほぼ確実に腹をくだす。

経験則からいって重症だ。

これから4時間以上も列車に乗ろうとする男に、あってはならない事態。

逡巡。それでも、私は意を決して乗り込んだ。

その時の、車内に足を踏み入れた、その瞬間の情景は今でもはっきりと覚えている。

 

結果的に私は次の駅で降り、便所にかけこんだ。

 

この日も、ひどく暑かったはずだし、

蝉の鳴き声も騒がしく響いていたはずだが何一つ覚えていない。

下着に付いたう○このインパクトの前には、そんな情景など無に等しいのである。

 

下腹の痛みは不思議なほどに消えていた。

私は旅を続けた。

 

トレンディな弊社

今日、何となくネットサーフィンをしていたら、こんな記事を見つけました。

http://zasshi.news.yahoo.co.jp/article?a=20140604-00038825-toyo-soci&p=1

(ポエムに踊らされる人は頭が悪いのか?/東洋経済オンライン)

 

記事によると最近、ポエムで社員を鼓舞する企業が増えているのだとか。

ポエムで鼓舞?

鶴太郎とか路上詩人みたいな人が、

味がある風な感じで薄っぺらいことを書いている、あれのこと?

安い居酒屋のトイレに貼ってあるような。

と思って、おそるおそる記事を読み進めてみると、あいまいな、ゆるふわな言葉を

ポエムと定義づけているだけなのね。

 

 

ところで我が社は数年後(あいまい)に、創業30周年を迎えます。

そこに向けてというわけではありませんが、あらためて会社として哲学を持ち、

社長も、管理職も、平社員もそれを共有し、行動できるよう、

今さらながら、社是をつくる(明文化する)ことにしました。

 

わたくしは古株社員ということで、明文化を担当することに。

若手社員とランチを共にし、中堅社員に酒をたかられ、

社長や管理職とは会議の場で議論をつくしながら、会社としてのあるべき姿を見定め、

それこそ、ライター生命をかけて、ビシッと端的で力強いフレーズを生み出すべく

悩むこと数ヶ月。。。

全社員が参加する月に一度の全体会議の前日に、ようやく完成させることができました。

 

その文字数、約1,200文字!

原稿用紙3枚分のポエムになったよ♡

 

わたくしは全体会議で、新しい社是を朗々と読み上げました。

社員たちのざわめき、どよめきに臆することなく。

 

後日、中堅社員が「社是をwebサイトや会社案内に使用したいので、

もっと短くしてくれ」と言ってきやがりました。

社是をリライト!! カジュアル!!

 

わたくしは、その中堅社員に諭すように言いました。

「これは社是ですよ。会社の魂です。リライトとか、そういう類いのものじゃないでしょ。」

「いや、これ社是っていうか、完全にポエムですよね。」

 

うぐっ。

 

「でも、諸々そぎ落としていったら、“俺らしさ”が消えてしまう!」

と、ライターのこだわりっぽい主張をしたところ、

「っていうか、社是に“俺らしさ”っていらないですよね。」

と、バッサリ。

 

ぎゃふん!

 

でも、上で紹介した記事で自信が湧いてきた。

やっぱり、今の時代、社員を鼓舞するにはポエムですよ。

 

 

近々、シンクスのポエム、否、社是を発表する機会もあろうかと思います。

どのような表現に落ち着いているのか。

まずは、文字数にご注目ください。

 

子猫物語(下)

明けましておめでとうございます。

 

たいへんご無沙汰をしておりますが、

退社したわけでも、入院していたわけでもありません。

ただただ、ぼんやりしていただけです。

 

さて、久しぶりのブログ番ですが、実は今回は「後編」です。

前回の内容など、誰も覚えてはいないと思いますので、

おヒマな方はコチラもお読みください。

 

 

さて、2匹の野良猫と温かな友情を育んだ我が家の息子2人。

何気ない日常の、まるで絵に描いたような小さな幸せ。

何でもないようなことが幸せだったと思う、のである。

 

 

足が不自由なメメちゃんは、車にひかれて死んでしまったそうだ。

私は子どもたちに、ありのままの事実を話した。

さすがに我が家の息子たちはショックを受けたようで、

2人して子ども部屋に閉じこもり、そのまま寝入ってしまった。

 

翌朝、2人はいつもより早く起きると、

「メメちゃんに手紙を渡してくる!」と言って出かけようとした。

昨夜、部屋にこもって一生懸命、書いたそうだ。

私は2人を呼び止め、手紙を読ませてもらった。

つたない短文の中に、あふれるソウル。

この想いがメメちゃんに届かないわけがない。

 

さて、月日は3ヶ月ほど流れ、

先日、2人に「メメちゃんのこと覚えてる?まだ悲しい?」と聞いてみた。

2人はそろって「正直、あまり覚えていない。」とケロっと言い放った。

そして、トニーの方も誰かに拾われたらしい。

 

近所の桜は、もう散っていた。季節は巡る。

 

これで、いいのだ。

子猫物語(上)

我が家の近所に住みついている野良猫が2匹の子猫を生んだ。

やせっぽっちのオス猫と足が不自由なメス猫。

2匹は野良猫らしい警戒心に満ちた目を、駐車場の片隅で光らせていた。

野良猫と言えばその糞尿問題で、

全国のどこの町内でも大人たちの頭を悩ませていることだろう。

餌付けなんてもってのほかである。

 

さて、我が家の2匹、否、2人の息子たち。

そんな大人たちの杞憂などどこ吹く風で、

オス猫をトニー、メス猫をメメちゃんと呼んで、

毎朝、毎夕、子猫たちの元に通い、何とか手懐けようと苦心していた。

とはいえ、障害を抱えた野良猫だ。

そうそう簡単に心を開いてくれまい。

「今日はあそこを引っ掻かれた」「噛まれたから消毒して!」と、

朝から騒々しいったらありゃしない。

 

そんな我が家の息子たちの様子を見て近所の大人たちがとった行動は?

まず、最も糞尿の被害を被っているであろうお宅のおばあちゃんが、

子猫たちのためのトイレを用意してくれた。

そして、そのお隣のお父さんはせっせと残飯を運んでくれた。

ビバ 下町!なんて、温かいのだろう!

 

周囲の大人たちの隠れた支えもあり、

子猫たちは少しずつ我が家の息子に心を開き始めた。

足が不自由なメメちゃんは逃げることをあきらめた、と言った方が正解か。

やがて抱っこすることを許され、

そしてついに、子猫は息子たちの後をついて歩くようになった。

努力は報われ、確かな友情が育まれたのだ!

 

近所のおばあさんやお父さんは、その様子を嬉しそうに私に語ってくださった。

 

子どもと子猫のささやかで愛おしい時間。しかし、この幸福は長くは続かなかった。

 

日曜日の夜、近所のおばあちゃんが我が家のインターフォンを鳴らした。

モニターを通して目を腫らしていることがわかる。

 

私は息を飲んだ。

そして、子どもたちに気づかれないよう玄関に出た。

 

 

長くなったので続きは次回。

スポーツ系

わたくし、先週末、子どもたちとの「戦いごっこ」の代償として、

ぎっくり腰をやってしまいました。

元々腰が弱く、1年に1度くらい整体通いをするのですが、今回の痛みは自分史上最大級。

歩くことさえしんどいし、寝転がっていても痛いし、声を出すこともままならない。

がんばって同僚に話しかけても、「は?聞こえません。」と冷たくあしらわれる始末。

 

中年たる己の、何と格好悪いことか。

でも、物は言い様で。

 

単なるぎっくり腰も「スポーツヘルニア」と言うと、

ちょっとランクが上がった感じしません?

今回のケースも戦いの最中の負傷なわけで、スポーツ的な要素はあったわけです。

 

今後は何かにつけて「スポーツ」をつけて、アスリートっぽく振る舞ってみたいと思います。

スポーツ盲腸とか、スポーツ老眼とか。

 

あっ、わたくし、現在、スポーツ虫歯を煩っておりますよ。

今夜あたり、スポーツこむら返り起こしちゃうかも☆

今日、解脱した。

私は最近、自分が“あるもの”に似ていることに気づいた。

それをここに記すことはできないが、

私の特徴を書き出すと、見事に“あるもの”の特徴と一致するのだ。

 

“あるもの”、それは私が理想とするもののひとつ。

常に“あるもの”のように生きたいと願っていたら、

かなり近い地点に到達していたのだ。

 

私は今の生き方を変える必要が無いと悟った。

より近づき、“あるもの”そのものになった時、

私の人生は完成するのかもしれない。

 

 

みなさん、理想をもって生きましょう。

夢をあきらめないでくださいネ☆

子は育つ。

少し前になるが、長男ユウスケ(小3)の運動会に行ってきた。

 

ユウスケはリレーメンバーに選ばれ、しかもアンカーを務めるとのこと。

リレーは全学年による混成チームで、まさに運動会のメインイベント。

出場者の保護者は特別にゴール近くのベストポジションに案内されるのだ。

優越感。ははは。

 

そのひとつ前のプログラムは、3年生の「かけっこ」。

一学年で4人だけが出場できるリレーのメンバーなのだ。

一等賞に決まっとるわいと余裕で眺めていると、

「位置について」の声がかかっても横を向いて遠くの誰かとおしゃべり!

何たる注意力散漫(父親譲り)!

さらに、「ドン!」の合図で慌てて走りだすも、

コーナーで派手に大転倒というコント仕立ての結末!

 

とぼとぼとゴールへ向かうユウスケ。

膝から流血しているのが、遠目から見てもわかる。

しかし、次はすぐにリレー。

出場者は所定の位置につくようアナウンスが流れている。

 

どうする?けして、強い心を持っているわけではない我が息子よ。

どんな歓声が聞こえている?アナウンスは届いているか?

 

私は息を飲みながらユウスケの行動を見守った。

そして、父親となった自分史上最大の声で「がんばれ!」と叫んだ。

ユウスケは片足を引きずりながら所定の位置に向かっていた。

 

リレーは随分と離された状態でたすきを受け取り、そのまま見せ場もないままゴール。

前日、華々しい活躍を夢想した私たち家族の思い上がりは見事に萎んだ。

 

リレー選手たちが各々、自分の席に戻っていく。

クラスのヒーローを出迎える児童たちも笑顔でいっぱいだ。

しかし、ユウスケはクラスの輪に加わらず、私たち家族の観覧席へやってきた。

クラスメイトに合わせる顔が無いのだろう。

血はまだ止まっていなかった。

 

私は「胸を張って席に戻れ」と一言だけ声を掛けた。

ユウスケは足取り重く、3年1組の輪の中に入っていった。

妻は少し離れて、ユウスケの後を追いかけた。

 

しばらくして、妻が涙を流しながら戻ってきた。

 

3年1組の仲間たちは、息子がなかなか戻ってこないことを心配していたという。

「ユウスケ、血が出ていたけど大丈夫かな?」

「早くユウスケにお茶をあげたいんだけど」

そして、ユウスケの姿を見つけるやいなや、クラスのみんなが集まってきて、

「ユウスケ、がんばったな!」と励ましの声をかけてくれたり、

「ユウスケと医務室に行ってくる!」と肩をかしてくれたり、

みんなが温かく迎えてくれたそうだ。

 

我が家には、子育てに関する教訓や思想など立派なものはないが、

いつも妻と話し合い、大切にしている2つの方針がある。

●友だちを大切に

●自立を促そう

 

「やったねユウスケ、今日は金メダルだ!」

夜、ユウスケと一緒に風呂に入り、そう声をかけたら、

「はぁ?何それ?」と言われた。

 

今度、金八のビデオ、無理矢理見せたろ。

電王戦

春である。

相変わらず桜は可憐だし、明らかに人々の服装は軽やかだし、
にっくき花粉たちは今日も徒党を組んで鼻腔を攻撃してくるし。
移ろいゆく季節に恵まれたこの国の、幸福な永遠のループ。
春の風を、匂いを、色彩を、繊細な感性で享受するわたしたち日本人の何と美しいことか!

しかし、わたしは、みなさんに提案したいことがある。
今年だけは、春なんてそっちのけでパソコンのモニタにかじりつくべきである!と。

現在、「電王戦」が行われていることをご存知だろうか?
これはプロの将棋棋士5人と
世界コンピュータ選手権の1〜5位に輝いた将棋ソフトとの公式団体戦である。
この歴史的コンテンツを見逃してはいけない。

将棋界は長らく、コンピュータ将棋との対戦を禁止してきた。
すでにコンピュータの実力がプロを凌いでいるからとか、
興行として成功を収めるためのタイミングを見計らっているからとか、
理由は明らかにされていないが、多くの将棋ファンやIT関係者が熱望していたこの対戦。
果たしてコンピュータの計算能力は、人間の創造力や推理力をも上回ってしまったのか。

車は人より速いし、鉄砲は人より強い。
それでも、わたしたちはオリンピックの100m競争や
ボクシングのタイトルマッチに熱狂し、感動する。
「ボルトより俺ん家のプリウスの方が速いぜ!」という人はいない。
でも、知能だけは。知能だけは、人間は負けてはいけないと思うのだ。

さて、記念すべき「電王戦」。その戦いはすでに2戦、行われている。
第1戦/コンピュータ選手権5位 vs 期待の若手プロはプロの完勝。
第2戦/コンピュータ選手権4位vs 最弱と言われるプロは、コンピュータの逆転勝ち。

そして、明日、
第3戦/コンピュータ選手権3位vs 若手プロの対局が行われる。
前評判は互角といったところか。

この団体戦、最大の見所は第5戦、大将戦である。
プロ棋士側から登場するのは三浦八段。現在の棋界で10指に入るトッププロだ。
前4戦のように若手やロートルではない。言い訳のきかない人選だ。
対するコンピュータ側は、東京大学が開発したソフトで、
対局当日は東京大学全面協力の元、学内にある全パソコンをクラスタさせ臨むのだという。
その能力たるや1秒間に2億手を読むと言われている。

仮に三浦八段が負けるようなことがあれば、次はあの人が出るしかない。

人生で何十回と体験する春なのだ。一度くらい、スルーしても良いのではないか。
わたしは、それくらい、大きな出来事だと思っている(真顔)。

対局の様子はニコニコ動画で生放送される。
http://ex.nicovideo.jp/denousen2013/?shogi

ちなみに、本日は前哨戦として、コンピュータ vs 石田純一という戦いが組まれている。
http://live.nicovideo.jp/watch/lv131674418

石田純一を起用するトリッキーなセンスも将棋界の魅力のひとつである。

今度はLC

先日、デビッド・ボウイの新譜リリースうれしいなって記事を更新した、まさにその日。
レオス・カラックスの13年ぶりの新作の試写会が東京であったんだとか。
http://eiga.com/news/20130128/14/

うはっ!たまらん!

私にとってはデビッド・ボウイとレオス・カラックスは切り離せない存在。

「汚れた血」の中で主人公のアレックスがボウイの「modern love」をBGMに、
深夜のパリを走り、踊るシーンにシビれた私は、この映画を何度繰り返し観たことか。

ググったら見つかったぜ!
You Tubeスゲー!


(kiyagiが無断欠勤したせいで、YouTube画面サイズが調整できないっ!)

ちなみに、5〜6年前、会社の後輩の結婚式用余興ビデオを制作した時、
S社のOさんに、鯖を持って走ってもらったのも、完全にこのシーンのパクりです。

というわけで、私の中でデビッド・ボウイとレオス・カラックスとS社のOさんがつながった\(^o^)/

db

久しぶりのブログ当番なのに、忙しすぎて書いてられなーい!

というわけで、わしもYou Tube作戦。

やったぜ、dbが10年ぶりに新作をリリースするぜ!

こちら、もう見た人も多いと思うけど、突然発表された先行シングル。

なんてかっこいい66歳!ウットリするぜ!

 

そういえば、トム・ヨークも新バンドでリリースするぜ。

2月20日ってことは、わしの誕生日の前日か。

よし、42歳の春が楽しみになってきた。

 

書とは

90歳を超え、今なお健在な私の祖母は、女学生の頃は書をたしなむ、

今で言うハイソサエティなお嬢さんだったらしい(本人談)。

書の腕前も相当なもので、かなりいいところまで言ったらしい(本人談)。

 

皮肉屋かつ批判精神旺盛な、まるでロンドンのパンクロッカーのようなばあさんで、

ある時、祖母が両手をポケットにつっこんだまま駅の階段を降りているのを、私の母がとがめたところ、

「ポケットから手を出せばいいのか」と言って、両腕を思いっきり天に突き上げながら階段を降りていったらしい。

 

思春期真っ盛りの高校生であった私にキルケゴールの「死に至る病」を紹介するなど、

私にとっては非常に啓示的な存在であったように思う。

 

私は子どもの頃から字が汚く、コンプレックスのひとつになっていた。

ある時、祖母が私に言った、忘れられない一言がある。

「字の上手下手は関係ない。大切なのは何を書くかだ」。

そして、私はライターになった。

ちょっと出来過ぎなような気がする。

 

だから私は書画の巧拙を見る目はまったく無いが、

そこに書かれた意味を知ることに興味を惹かれる。

 

昨日、家族と近所のショッピングモールに行ったところ、

小学生が書いた書がズラッと並べられていた。

さぁて、何が書かれているかな?

私は子どもの手を引き、わくわくしながら近づいた。

 

ギャフン!!

【電子申告】でんしーしんこく。申告などの国税に関する各種の手続きについて、インターネットを利用して電子的に手続が行えるシステムのこと。

みちのく一人旅

先日、2泊3日の仙台出張にかこつけて、被災地と呼ばれる沿岸部まで足を伸ばしてきた。

遅ればせではあるが、やはり自分の目で見ておきたかったので。

 

 

仙台市内は各所で工事が行われているものの、

地震や津波の爪痕を目の当たりにすることはなかった。

街を行く人々の表情も、名古屋のそれと変わりなく感じた。

バカなヤングはとってもアクティブだし、

私は相変わらず、それを横目に舌打ちをひとつ打っていた。

それでも中心部を離れると、手つかずのアパートが廃墟になっていたりした。

 

タクシーの運転手さんや地元の料理店の人にそれとなく話を聞いてみると、

やたら「復興バブル」という言葉を耳にした。

昨年の夏までは公務員やボランティアが大挙して押し寄せ、

歓楽街を中心に、それはそれは好景気だったそうだ。

 

何となく煮え切らない感情が残ったものの、

まぁ、そんなものかと、わからないでもなかった。

 

3日間の滞在中に読んだ新聞(朝日)に放射線情報がまったく載っていなかった。

ちなみに、中日新聞は毎日の名古屋の放射線量を掲載している。

私は脱原発を妄信しているわけではないし、ネット住民のような裏読みもしないが、すごく違和感があった。

 

 

 

街のいたるところで「がんばろう東北」というフレーズを見た。

「がんばろう東北」というフレーズだけだった。

名古屋にいると「がんばろう東北」はもちろん、「がんばろう日本」もよく見る。

 

それに気づいた時、私が仙台で感じた違和の正体に合点した。

 

そうか、私は当事者ではないのだ。

 

 

仙台を離れ、沿岸に行くと、あちこちに被災の跡が残っている。

そこに何も存在していなくても、かつて、そこに暮らしの営みがあったことがわかる。

その生々しさ。

 

被災地の外に暮らす人間がどれほど復興を語り、行動を起こそうが、

とてもじゃないが力になれないと脱力した。

 

 

現地に行った人々はよく「絆」という言葉を口にする。

私はその度に白々しさ、胡散臭さを感じていた。

 

私はよほど心が汚れているのか、現地に行って確信した。

多分、私は被災者の方々と「絆」は紡げない。

当事者にはなれないのだ。

 

 

「絆」って一方的に押し付けるもんじゃねーよな。

 

今池まつり

シンクスが「今池」に移転して早50日。

本ブログでもみんなが、それぞれの今池を報告していますね。

そのどれもが、今池が持つ独特な文化の珍妙さをおもしろがりつつ、

まぁ、アレな街なんで的な視点で自虐的に語っているのがおもしろいなぁと思って読んでいました。

 

みなさんは今池という街に、どのようなアレをお持ちですか?

一般的には交通の要所ではあるものの、「猥雑」「ネオン」「場末」「怖い」「下品」といったネガティブなイメージが強いのではないでしょうか。

ところが、サブカルチャーなもの、アンダーグラウンドな空気をこよなく愛する私のような人間にとっては、この文化のカオス感がとてつもなく魅力的に映ります。

 

実際、数年前には今池のタウン誌を発行したいと企画を練りかけたこともあるほど。

その時、頓挫したのは今池という街が、実はかなり計画的にプロデュースされていることを知ったから。

若くて熱い志を持った地元の人々が、まじめにおもしろがって、この今池という街のイメージを構築しようとしている。

上っ面だけの「洗練」を追い求めるのではなく、その土地に根付いている個性を自由に料理している。

そんな“動き”を感じとったのです。その人たちに会ったことはないけれど。

「ダサさ」を意識的におもしろがるセンスの良さ、たくましさ。

先越されちゃったぜ〜と悔しく感じたことを覚えています。

 

その人たち=今池商店街が9月16日(日)、「2012今池まつり」を開催します。

 

名古屋グランパスエイトの玉田選手のトークショーは田中鮮魚店横で行われるし、

保育園の鼓笛隊演奏が行われている同時間、通りを挟んで爆乳シスターズがライブしてる。

もちろん、おなじみ「今池プロレス」も。

 

さらに、名古屋のアングラロックの雄、原爆オナニーズも参戦!

アングラなものを探し歩いていた20年前を思い出しました。懐かしい!

 

そんなわけで、みなさん、お時間のある方はぜひ「今池まつり」へ。

おもろな街、今池に出会えますよ。

詳しくはHP(http://imaike.gr.jp/festiva/)をご覧ください。

 

※ちなみに、シンクスは今池まつりとは一切、関係がありません。念のため。

ロンドンオリンピック

ロンドンオリンピック、盛り上がっていますね。

 

今日は女子サッカーの決勝戦が行われます。

そうそう、1年前、彼女たちがワールドカップで優勝した翌日も、私のブログ担当日でした。

↓↓↓

これ

もし、今回も金メダルを取ったら、私のあげ○んは確定ですね。

試合後、ピッチ上でユニフォーム交換をおっぱじめたらどうしよう……。

今晩もドキドキしながら観戦したいと思います。

 

レスリング女子の伊調馨選手。3大会連続金メダル、素晴らしい!

8年間(小学1年生が中学2年生に!)ずっと、勝ち続けているわけですね。

ちなみに私、伊調馨選手を取材したことがあります。

言葉数こそ少ないながら、芯の強さ、ブレない確かさを強烈に感じました。

私も次々に人をひっくり返して褒められたいものです。

 

あと、柔道で試合が終わった後、White Stripesの「Seven Nation Army」が流れていたのがすごく新鮮で、ロンドンって感じがしました。

でも、確かに戦いの後の音楽としてはカッコ良いのだけれど、

日本人たる私の感覚からすると、柔道場は神聖な場所であって、

そこはロックじゃないだろと思ったりしました。

 

と、夏山のペンションでTUBEが流れているような違和を感じていたところ、大ニュースが飛び込んできました!!!

↓↓↓

これ

レースの時はしない!!!(`・ω・´)シャキーン

これぞ、トップアスリートの矜持!!!

 

よし、私も見習うぞ。

いつもは遅刻するけど、プレゼンの日はしない!

これで、私もトップクリエイターの仲間入りです。

 

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