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みちのく一人旅

先日、2泊3日の仙台出張にかこつけて、被災地と呼ばれる沿岸部まで足を伸ばしてきた。

遅ればせではあるが、やはり自分の目で見ておきたかったので。

 

 

仙台市内は各所で工事が行われているものの、

地震や津波の爪痕を目の当たりにすることはなかった。

街を行く人々の表情も、名古屋のそれと変わりなく感じた。

バカなヤングはとってもアクティブだし、

私は相変わらず、それを横目に舌打ちをひとつ打っていた。

それでも中心部を離れると、手つかずのアパートが廃墟になっていたりした。

 

タクシーの運転手さんや地元の料理店の人にそれとなく話を聞いてみると、

やたら「復興バブル」という言葉を耳にした。

昨年の夏までは公務員やボランティアが大挙して押し寄せ、

歓楽街を中心に、それはそれは好景気だったそうだ。

 

何となく煮え切らない感情が残ったものの、

まぁ、そんなものかと、わからないでもなかった。

 

3日間の滞在中に読んだ新聞(朝日)に放射線情報がまったく載っていなかった。

ちなみに、中日新聞は毎日の名古屋の放射線量を掲載している。

私は脱原発を妄信しているわけではないし、ネット住民のような裏読みもしないが、すごく違和感があった。

 

 

 

街のいたるところで「がんばろう東北」というフレーズを見た。

「がんばろう東北」というフレーズだけだった。

名古屋にいると「がんばろう東北」はもちろん、「がんばろう日本」もよく見る。

 

それに気づいた時、私が仙台で感じた違和の正体に合点した。

 

そうか、私は当事者ではないのだ。

 

 

仙台を離れ、沿岸に行くと、あちこちに被災の跡が残っている。

そこに何も存在していなくても、かつて、そこに暮らしの営みがあったことがわかる。

その生々しさ。

 

被災地の外に暮らす人間がどれほど復興を語り、行動を起こそうが、

とてもじゃないが力になれないと脱力した。

 

 

現地に行った人々はよく「絆」という言葉を口にする。

私はその度に白々しさ、胡散臭さを感じていた。

 

私はよほど心が汚れているのか、現地に行って確信した。

多分、私は被災者の方々と「絆」は紡げない。

当事者にはなれないのだ。

 

 

「絆」って一方的に押し付けるもんじゃねーよな。

 

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