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タイガー&モンキー

2022年ブログのトップバッターはいただいたぜ!

ということで、10日以上経ってしまいましたが、
あけましておめでとうございます。
本年もThinksをどうぞよろしくお願いいたします。

みなさん、大晦日はすきやき食べましたか?私はいっぱい食べました。

さて、今年は寅年ですね。
干支を意識するのって、年賀状のタイミングくらいかな?と個人的には思っているのですが、今日は干支が好きな私の叔母についての話を少し。

私の叔母(丑年生まれ)は干支が好きです。
私は酉年生まれなのですが、酉年には「年女さんおめでとう」と干支グッズをプレゼントしてくれました。

年女を祝ってくれる人が叔母以外いないので、(祝ってもらえるんだ…!)と思った次第です。

初対面の人にも干支を聞きたくてうずうずするそうですが、「年齢がわかっちゃうから嫌がられるかな〜…」と日々葛藤しているそうです。

そして、昨年(2021年)は私の姉が子供を産んだのですが、「同じ丑年生まれだ〜!」と喜んでいました。

そして「牛柄のタオル」と「羊のリュック」をプレゼントしていました。

羊のリュック…?と、頭にクエスチョンマークが浮かんだのですが、
どうも「裏干支」というものがあるらしく、生まれ年の干支から六つ先の対に位置する干支(丑の場合は未)のものを身につけることで、相互の干支の足りない部分を補い合い、守り神になってくれるそうです。

「裏干支」なるものの存在を知らなかったので、へぇ〜!と思いました。

裏干支の存在を知っておくと、干支の楽しみ方が12分の1から6分の1に増えますね!

ちなみに、寅の裏干支は申です。

年男さん、年女さんは、ぜひタイガーとモンキーを身につけて運気をアップさせてくださいね。

今年も穏やかで健やかな一年になりますように!

最近気になっていること

シンクスの繁忙期はいつ?と聞かれたら、秋から冬にかけてなのだろうか。

7/30を最後にぱたりと更新が止まっているスタッフブログを見て思う。

私の手で再起動してみよう。

 

 

最近、気になっていることがある。

「この紙は流すことができます」と書いてあるトイレットペーパーの芯と包み紙についてだ。

その包み紙を見たときに「ほぉ〜、すごいね」と思ったわけだけれど、

「一度に大量に流すとつまる可能性があります」みたいな注意書きもあって、

そんなこと言われたら「じゃあゴミ箱に捨てればいいじゃないか!」となる。

 

ゴミを減らそう、という取り組みが世界中で行われていることは知っているけれど、

排水管がつまってきれいな水が出なくなることも大変だ。

(最近お仕事で、下水道処理に関するお話を聞いたのです)

 

トイレットペーパーの芯と包み紙を燃やす熱量と、流す熱量、どっちが大きくて負担なのだろう?

 

私個人は、芯と包み紙が水に流せることを「すごい!」とは思っても、メリットをさほど感じていないのだけれど、どんな人に需要があるのだろうか。

結構気になるっているので、メリットを感じている人はぜひ教えてほしい。

そして「なるほどね」と思いたい。(「なるほどね」は快感に近いのです)

 

 

あと、あれです。

「芯のないトイレットペーパー」。あれは素晴らしいと思います。

 

 

スタッフブログって、こんな感じでいいんでしたっけ?!

余白

久しぶりにスタッフブログを書く。最近、家で書いている日記もおさぼりしている。

感情にはムラがある。継続はむずかしい。

でも、やめない限り、終わりじゃない。長い目で見たら続いているってことで!

 

 

さて。

2021年の手帳は、「軽さ重視!めざせミニマリスト!」をテーマに購入した。

だから、必要最低限のページしかない。

昨年の2020年の手帳は今年の3倍くらいの厚さがあって、持ち歩くときに少し重かったからだ。

でも、厚みがあった分、余白もあったので、わたしは「プチ日記」みたいなものを書いていた。

それを後から読み返したら個人的に少しおもしろかったので、ブログのネタにしてみます。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

こういう落書きみたいな、日記みたいなものを1年に1回くらい読み返して「ふ〜ん」となるのが、私は好きです。

でも、今年の手帳にはあまり落書きがなくて、少し寂しいなあ、なんて思っている。

来年の手帳はどうしようか、年末にまた考えるとします。

 

 

どうやら私には、余白が必要みたい。

 

10000日

昨日は私の生誕10000日目でした!パチパチパチ!

何年か前にTwitterで「27歳の途中で10000日目を迎える」というツイートを見て、過去の私が10000日目をスケジュールに入れていてくれたみたい。

生まれて10000日目がどうした!、と言われたらそれまでですが、とりあえず周りの人に自らアピールして「おめでとう」のカツアゲをしました。

 

まぁ、この世に生を受けて10000日ってことなんですが、

10000日間のうち、何日間寝ていたんだろう?とか、

何日間幸せを感じて、何日間悲しんだのだろう?とか、

母と過ごしたのは何日間だろう?とか、

あの人と出会って何日間だろう?とか。

こんな風に、日割りで人生を見ると、時間を無駄にできないなって、思ってくるから不思議です。

きっとあれですね。大きな目標を達成するためにも、そこにつながる小さな目標を立ててコツコツやるのが成功のカギ、ってやつと同じですね。

あと、あれですね。500円玉貯金を侮ることなかれ、ってことですね。

 

次はゾロ目の「11111日目」に、再びおめでとうをカツアゲしたいと思います。

以上、生まれて10001日目の人がお送りしました。

 

 

過去の夢

私の子どもの頃の夢は「お花屋さん」だった。しかし、「しまじろう」のアニメを観ていたら、花屋さんのお手伝いをするしまじろうが蜂に追いかけられていて、虫が苦手な私は一瞬でお花屋さんを諦めた。そんなものだ。だからといって、私があのときしまじろうを見ていなかったら、今お花屋さんになっていただろうか?それは誰にもわからない。

 

このブログを書いていたら懐かしくなったので、しまじろうを検索してみたら、しまじろうのフルネームが「しまの しまじろう」であることを知って驚きを隠せない。「野比のび太」と同じ手法だったとは。もっと驚いたのは、しまじろうのお父さんの名前が「しまたろう」であったこと。なぜか愛くるしい気持ちになった。

 

子どもの頃に観ていたものを大人になってから観ると、違うものが見えてくるのかもしれない。

たこやきマントマンとか、ニャンダーかめんとか、怪盗セイント・テールとか。(年齢がバレる)

時間があったら昔観ていたアニメを見返してみたいものだ。

ゴミ箱を空にする前の躊躇

普段からパソコンを使っている人には共感していただけると思うのだが「ゴミ箱を空にする」って、すこし勇気がいる。ここで言うゴミ箱とは、もちろんパソコン上のものだ。そもそもゴミ箱は「これはもういらないデータだな」と判断したものの集合体のはずだ。しかし、私たちは知っている。ゴミ箱から簡単にデータを取り出せることを。だから、いざ本当に「ゴミ箱を空に」しようとすると、「本当にこれはいらないよね…?」と不安になるのだ。おかしな話だ。この「ゴミ箱を空にするの躊躇する問題」は敗者復活戦に似ている。そもそも敗者復活戦とは、なんのために存在するのだろうか?観客を盛り上げるためか?一度負けた者に夢を見させて、順調に勝ち上がってきた者たちの立場はどうなる?一度切り捨てたものに、価値を見出すのか?そういえば、漫才の王者を決めるM-1グランプリには“敗者復活枠”が最初から設けられている。予選で落選した者達の中で1位を決めて、決勝戦にエントリーするのだ。過去には、敗者復活で勝ち上がってきたサンドウィッチマンがその勢いのまま優勝まで果たした。そのときに見せるネタやタイミングなどで、勝敗が分かれるということの証明だ。勝負事に運は大事。年に一度、テレビを見て笑いながら、そんな現実を叩き付けられる。もう気分は、年末に片足を突っ込んでいる。今年のM-1は果たしてどうなるだろうか。楽しみだ。

 

話が逸れに逸れたが、私は少しの勇気と勢いで、いつも「ゴミ箱を空に」している。何事も、最後は勢いだと思う。

全集中!

3週間ほど前の週末、雨がふっていたので外に出る気にならず、アニメを観ることにした。

普段アニメはあまり観ないのだが、この単語を聞かない日はないってくらい世間をにぎわせている「鬼滅の刃」。

ちょっと、いや、だいぶ気になっていた。

実は1話は少し前に観たことがあって、1話だけ観た感想としては「炭売ってるから炭治郎って、安直なネーミングじゃない?」「え、1話でこんなにグロテスクなの?」といった感じだった。

なので、2話から観始めたのだが、気づいたら日が暮れていて、全話一気に観ていた。

その日はほぼソファから動いていない。まさに“全集中”だ。

 

感想としては「なるほどな〜」である。人気な理由が分かる。おもしろい。

そして主人公を応援したくなる。炭治郎がんばれ!ってなる。

鬼が襲ってくるスリリングさも少しクセになってきて、鬼のサイドストーリーにちょっとぐっとくる。

あと、必殺技は声に出したくなる。「水の呼吸!壱の型!水面斬り」そして棒状の物を振り回したくなる。

あと、コスプレもしたくなる。キャラクターがみんな愛くるしいから。いいキャラしてる。

そんなこんなで1日でアニメを一気見した、原作漫画も読んでないにわかファンは、映画も観に行ってきた。

映画の感想は、ちょっと控えておく。何を言ってもネタバレになってしまいそうだから。

ただめっちゃ泣いた。そして、アニメ第二期も絶対に観ようと思った。

 

流行に乗るっていうのは、おもしろいな。

ちなみに私は、富岡義勇推しです。

ニキビ

近未来に大切な用事があるのに、おでこにニキビができた。最近はニキビ跡がなかなか消えてくれなくなってきたので、いかに爆発させずに素早く鎮静させるかが大事だ。効いているのかよくわからん薬を塗り、前髪を触れないようにして頑張っているが、全然治らん。そういえば、ニキビできちゃった〜と言うと「もうその年だと“吹き出物”でしょ」と言ってくる人がいる。確かにニキビを辞書でひくと「思春期・青年期にできる吹き出物」と書かれているが、わざわざ言う必要あるかね?と思う。そういう人は、紳士大学ジェントルマン学部で4年間みっちり学んでいただきたい。同時に、だから「大人ニキビ」なる言葉が世に出回り始めたのか、と気づいた。あと、[ニキビ 早く治す]とかググっちゃった日にゃ、インスタグラムの広告が「ニキビに悩む女性向けの化粧品」ばかりになって怖い。ちゃんとターゲティングされている。広告をつくる仕事をしているから、ターゲティングは大事だし、理にかなっているとは理解しているつもりだけれど、ここまであからさまに“的”にされると怖い。だからたまに全然興味のないことを検索して、AIを翻弄してやりたい。[古墳]とか[パンチパーマ]とか[芝刈り機]とか検索すれば、「あれ?こいつ何者だ?」ってならないかな、なんて。まぁ、この広い世界を探せば、髪型をパンチパーマでキメて、古墳巡りを趣味とし、庭の芝を刈るために芝刈り機の購入を検討中のニキビに悩む女性もいるのだろうけれど。

ねこふんじゃった

「ねこふんじゃった」という曲をご存知だろうか。そう、ピアノの前に座ったら弾かずにはいられない、あの曲だ。最近Twitterで「ねこふんじゃったって、なんであんなにみんな弾けるんだろうね」といったツイートを見て、(たしかになぁ。ピアノを習っていない私でもねこふんじゃったは弾けるもんなぁ)と思った。

 

そして私はさらに思った。ねこふんじゃったを弾くことはできるが、歌えないぞ?

ちなみに私は今まで、こんな感じで歌っていた。

 

ねこふんじゃった ねこふんじゃった ねこふんじゃ ふんじゃ ふんじゃった

ねこふんじゃった ねこふんじゃった ねこふんじゃ ふんじゃ ふんじゃった

ねこニャー ねこニャー ねこニャー ニャー ニャー 〜♪

 

我ながら、適当にもほどがある。「ふんじゃ」ってなんだよ、って感じである。

 

さて、みなさんは歌えるのだろうか。

水曜日の○ウン○ウンとかで、「ねこふんじゃった弾けるけど歌えない説」をやってほしいくらい、全国のねこふんじゃったの歌唱率が気になっているので、教えてほしい。

 

 

まったくもって本当の歌詞がわからなかったので、調べてみた。

 

 

 

出だしの歌詞がこちら。

 

 

ねこふんじゃった ねこふんじゃった ねこふんずけたらひっかいた

ねこひっかいた ねこひっかいた ねこびっくりしてひっかいた

わるい ねこめ つめを きれ

やねを おりて ひげを それ 〜♪

 

 

第三者的に見て、ねこは何も悪くない。先に危害を与えたのは、ふんずけた人なのだから。にもかかわらず「爪を切れ」やら「髭を剃れ」などと罵声をあびせられているねこ。そもそもねこの髭は剃るものなのか?という疑問点も残る。ちなみに曲の続きでは、人はねこに謝罪の弁を述べているが、誠意がこもっているとは言い切れない。

 

 

あまりにも、ねこふんじゃったの歌詞が衝撃的でおもしろかったので、作詞家を検索してみると、同じ人が「サッちゃん」も作っていた。サッちゃんの曲は1番しか知らなかったが、3番が哀愁漂っていた。こんなに切ない曲だったのか……。気になった人はぜひ、童謡の歌詞を調べてみてほしい。

 

知ってるようで、知らないことって、たくさんあるね。

 

 

ホワギョー

タイトルを見て、なんのことか分かった人は、このブログを読まなくていい。なぜならば、今日は「ホワギョー」の話をたんたんとしようとしているからだ。

 

私の大好物トップ10入りするであろう食べ物、それが餃子である。無論、私が好きなのは羽パリパリで中から肉汁じゅわっ系の餃子だ。家で餃子を作るとなぜか夕食が「餃子パーティー」になる。ただの夕食だったはずなのに、皿に並んだ餃子が感情を高ぶらせ、「パーティー」要素をぶち込んでくるのだ。そこにもう、米はいらない。餃子オンリーでいける。お肉たっぷりなのに“野菜もちゃんととれてる感”も嬉しい。最近は冷凍餃子のクオリティが高すぎて、自分で作る気になれない。水も油も不要で、パリパリジューシーに仕上がるんだから、革命だ。良い時代だ。

 

と、冷凍餃子で満足できちゃう系の餃子好きのため、「餃子のおいしい店知ってる?」と言われても困ってしまうのが難点だ。しかし、「ホワイト餃子」を知らない人には、ぜひ一度食べてほしいと思っている。

 

「ホワイト餃子ってなに?」と言われても、上手く説明できないのだが、そういうお店があるのだ。のれん分け形式でお店を増やしているそうだが、実は愛知県には1店舗しかない。しかし、「ホワイト餃子系の餃子」が食べられるお店は、ちらほら見かける。

 

その、「ホワイト餃子系の餃子」というのがこちら。

 

 

まるまるとした形が特徴の餃子だ。知らずに出されて初対面したら「コレハ ナンダ?」となるだろう。しかし、こいつは餃子を名乗っている。私は定期的にこの餃子が食べたくなってしまう身体なのだ。

 

モチモチした厚めの皮にたねが入っていて、ぽっこり包まれた後に揚げ焼きされている。そのため、皮がすごくカリカリで、歯でぶち破っていく感じである。皮が厚くて冷めにくいのか、とんでもなく熱いので注意が必要。私の味覚が合っていれば、シナモンとかのスパイスが入っているような気もする。

大体10個からセットで頼めるのだが、10個でお腹がパンパンになる。普通の餃子の10個とホワイト餃子系の餃子10個ではボリューム感がまるで違うので、気をつけていただきたい。

「餃子が食べたい」と「ホワイト餃子が食べたい」は、まったく別物の感情なのだ。しかし、大好物ランキングを作るうえでは、数多くの美味しいものたちがひしめき合っているため、「餃子」というワンカテゴリーにさせてほしい。こんなずる賢い私を許してほしい。

お兄さん、現る。

私は姉大好き芸人である。

 

幼稚園の頃は2つ上の姉から片時も離れず、

学年別で並ばなきゃいけないのに「いやだ」と駄々をこね、

優しい先生をガチギレさせてギャン泣きしたのが良い思い出だ。

 

「大好きだから何でもまねっこ!」とはいかず、

あまのじゃくな私は姉が「ピンクのスカートが好き!」と言えば「青いズボンが好き!」と答え

姉が「お肉が好き!」と言えば「にんじんが好き!」と訳分からんことを申していた。

 

姉は少しおませさんで、小学生の頃からお化粧に興味を持ち、

サンタクロースには「アユと同じ髪型になれるウィッグ」をお願いしていた。

(一方の私は「くねくねむしむし」というおもちゃである。)

 

あまのじゃく精神が爆発したのか、“THE 女の子”を突っ走る姉とは対照的に小学生の頃の私は男の子の洋服を好んで着ていた。

大体、迷彩や十字架、炎が描かれたやつ。「BAD BOYかっけぇ!」って感じである。

(当時は、めちゃ×2イケてるッ!と思っていた。)

 

 

 

高校は「姉を知らない人がいる世界」を作ろうと思い、

姉が家から一番近い高校に行ったので、

私は家から二番目に近い高校に行った。

 

 

姉に恋人ができると、とりあえず威嚇した。

全然私と遊んでくれなくなるからである。

 

だから常に「姉の恋人=私の敵」だった。

 

 

3年ほど前だっただろうか。

姉が恋人と同棲すると言って、家を出た。

 

生まれてからずっと、一緒に暮らしていた人が家からいなくなる喪失感たるや。

その時の私は心がズドンと重くなり、帰りの地下鉄に揺られながら(帰ってもいないのか…)と思って涙を流したり、ミスドで横に座った見ず知らずのおばあさんに相談しようかと本気で考えたレベルで落ち込んだ。

 

 

時間の力も借りつつ、今では違う場所で暮らす生活に慣れた。

一緒に過ごす時間は少なくなったが、今の方が仲良くなれた気もしている。

 

 

 

なぜ、唐突に姉の話をしだしたかというと、

もうすぐ、姉が結婚するからだ。

 

先日、向こうのご家族と顔合わせを行った。

私は同い年の男をこれから「お兄さん」と呼ばねばならない。

(いや、おそらく呼ばない)

 

未来のお兄さんは、涼しい店内で、すごく汗をかいていて「絶賛緊張してます感」が分かりやすく出ていた。

気が弱そうではあるが、良い奴っぽい。(謎の上から目線)

うちの姉が選んだ人なのだから、まぁいい人なのだろう。(そう信じたい)

 

 

「姉を悲しませたら許さんぞ!」と直接は言っていないが、圧は伝わっているはずだ。

 

 

今後何があってもいいように、筋トレに励もうと思う。(暴力はよくない)

 

 

姉の結婚式までに、ウォータープルーフのマスカラとアイラインを手に入れておかないと、大変なことになりそうだ。

 

 

 

 

 

合法ハーブ

 

5月の末、とある筋から「たくさん取れますぜ」と裏情報を得たので、ベランダでのハーブ栽培に手を染めてしまった。

 

種をまいて2週間ほどするとニョキニョキ芽が出始め、育つわ育つわ。

あまり大きな声では言えないが、高く取引できそうな奇麗な葉っぱができた。

 

それを毎日夜な夜な収穫して、密かに楽しんでいる。

鼻から抜ける香りがたまらない。

中毒性があって、なかなかやめられそうにない。

 

 

 

※大葉

歌って癒して潤して

熱が出たりすると気づくんだ 僕には体があるって事

鼻がつまったりするとわかるんだ 今まで呼吸をしていたこと

 

 

 

これはBUMP OF CHIKENの「supernova」の歌い出しの歌詞である。

 

私は少し前、食べ物を噛めないほど口の中が痛くて、親不知を抜いた。

 

そのことを忘れるくらい今は毎日モグモグ美味しくご飯を食べられているので幸せを感じている。

 

そして先日、料理中に親指をやけどした。もう親指の腹がズル剥けである。

タイピングしていてスペースキーを押すときに若干「おぅ」となる。

 

こんな「痛い」エピソードがあるたびに、私は前述した曲が頭の中に流れるのだ。

痛みは時に、日常の幸せを思い出させてくれる。

 

そして今は、過去に取材した「湿潤療法」を実践している。

湿潤療法とは、かさぶたを作らず、傷口を乾かさない状態を保つ治療方法のことである。

 

専門家ではないので、下手なことは言えないが、簡単に言うと、人間の身体からは傷を治すための体液が出ているので、その液で傷口を潤しておくことで早く治る!という治療方法である。人間の治癒能力はすごい。

 

この取材をしてから、私は湿潤療法を何度か実践しており、効果を感じている。(なぜかよく傷をつくるのだ)

 

 

傷口を潤しておくために、ワセリンを塗るとかラップを巻くとか、そういった方法もあるらしいのだが、体液ですぐぐちゃぐちゃになってしまうので、管理が難しい。それをサラリとやってのけるのがキズパワーパッドだ。

 

私はキズパワーパッド信者になったのだ。あれはすごい。絶対的に信頼している。

 

キズパワーパッドさえあれば、私は強くなれる。そうとさえ思える。

 

最近は年のせいか、傷の治りが遅くなってきた気がしているので、キズパワーパッドに支えてもらう気満々だ。

 

 

そういえば、BUMP OF CHIKENの曲に「かさぶたぶたぶ」という曲もある。

 

膝をすりむいた少年の膝にできた“かさぶた”が、優しく少年に語りかける曲だ。

 

しかし、私はもう、かさぶたを作らない女になってしまた。

キズパワーパッドには傷を早く治す力はあっても、情緒はない。

そうやって人は、大人になっていくのだろう。

 

 

 

 

 

時計のおはなし

私は、ほぼ毎日時計をつけている。

就職先が決まったとき、自分自身に就職祝いとして購入したのが今の時計だ。

お仕事でも使える上品さを意識して、初めてメタルバンドのものを選んだ。

当時は、めちゃくちゃ「THE・OL」に憧れていたからである。

シンプルだけど、少し文字盤がキラキラしていてかわいい。

迷いに迷って、わけがわからなくなって、最後勢いで決めたけれど気に入っている。

こだわったのは、ソーラー電池であること。

電池交換って意外に面倒だから。使いやすさも大切だと思ったのだ。

 

そんな、Thinksに入社したときから、ずっとそばで時を刻んできた時計。

しかし、テレワークのあいだ、時計を身につけずにしまっておいたら、

光が当たらず電池が切れて、時を刻むことをやめていた。

 

すぐに日の当たる場所に置いたら、再び秒針が動きだしたけれど、

少し寂しい気持ちになってしまったのは否めない。

 

 

 

そして私は、革ベルトの時計も持っているのだが、

こちらはソーラー電池かどうかは気にせず、デザインだけで選んだ。

数ヶ月前に電池が切れていることに気づいたが、なかなかお店に持って行くタイミングがなく、先週ようやく電池交換に行けたのである。

そしたら、お店のお姉さんに「電池が液漏れしている可能性があるので点検しておきますね」と言われた。おもちゃやリモコンの電池と同じで、時計の電池も切れてからずっと放置しておくと、電池が液漏れして故障してしまう可能性があるという。これは、知らなかった!と思い、もっと早く連れてきてあげればよかったと悔いた。みなさんも気をつけていただきたい。

 

 

最後に、旅行に行ったときなど「ピアスなくしちゃいそう…」と思ったことはないですか?

 

そんなときは、腕時計の穴にピアスを挿しておくのがおすすめです。

そうすれば、身支度するときに自然と身につけることができるし、忘れたりなくしたりする心配が減ります。これ、自分で発見したライフハックなんですが、みんなやっているのかな?

 

ピアスをなくしがちな人は、ぜひ試してほしいです。

 

スタッフブログでいつも、自分の思うことを取り留めも無く書いてしまうので、今日は少し役に立つ情報を盛り込んでみました。

 

布教活動継続のお知らせ

 

皆さんは新しいPCやスマホを購入したら、まず何をしますか?私は何度か「とうほうしんき」と文字を打ち込んで、一発で「東方神起」と漢字変換できるようになるまで、育てる。そう、私の最も好きな四字熟語は「東方神起」だ。最初は「どうして君を好きになってしまったんだろう?」というやたら長いタイトルの曲を歌う韓国の人たちという印象から始まったが、姉が友達から借りてきたLIVE DVDを観てイチコロ。なんなんだこの人たちは、本当に神じゃないか…。それから長らく、信仰させていただいている。ちなみに私は東方神起が好き過ぎて、過去に中日新聞の「発言」に投稿したことがある。東方神起のライブの素晴らしさを多くの人に広めることが私の使命だと感じたのだ。そして東方神起と私の名前が同じ誌面に掲載され、一種の布教活動を果たした。それから、東方神起のダンスを無料で教えてもらえるイベントがあったときには、迷うことなくエントリーし、エ○ベックスのダンススタジオに一人で乗り込んだこともある。周りはみんなバリバリの“エ○ベックス練習生”みたいな人のなか、ド素人とバレないようにそれっぽく柔軟してみたりしながら練習し「SCREAM」という曲のダンスをマスターした。今となっては良い思い出だ。

 

5人から、いろいろあって2人になった東方神起。共に時代を乗り越えてきた身としては、現実を受け入れられない辛い時期もあったが、今は2人(ユンホとチャンミン)の東方神起が完璧な完成形だと思っている。(この感情に至るまでには、あまりに多くの葛藤がある)東方神起自体が大好きなのだが、やはり「推し」というものはいるわけで、5人時代から一途に思いつづけているのがチャンミンである。(ちなみにユンホもめちゃめちゃかっこよくて、めちゃめちゃいい人です)東方神起の一番の末っ子、ハイトーンボイスを得意とし、よく叫ぶ。絡まっちゃうんじゃないかと思うくらい手足が長く、ビールが大好物。容姿端麗もさることながら、勤勉であり、華麗に日本語を使いこなす。最初は「かっこいい」から入ったが、かっこいいだけでこんなに長く愛せるものか。人間としてすんばらしいのだ。

 

その東方神起のチャンミンが先日、一般女性との結婚を発表した。そのニュースはとてつもなく衝撃的で、心臓が加速し、手が震えて、あからさまに動揺してしまった。が、ファンとして心から祝福している。そしてその日、SNSはファンの温かい祝福の声で溢れていた。これは、ちょっと異例なことだと思う。過去に、アイドルの結婚発表が、このように受け入れられたことがあっただろうか。(いや、ない。少なくとも私は知らない。)そりゃ、心の片隅には「あのチャンミンが…みんなのチャンミンが…」という悲しみのような感情がないと言えば嘘になるが、それよりも「チャンミンの選んだ方ならきっと素敵な人だろう」と素直に思えるのだ。それは、今まで彼がパフォーマンスを通して築き上げてきたものと、とても誠実なファン思いの対応によるものだと思う。日本のファンに向けても日本語の直筆メッセージを送ってくれた。かっこいい、本当にかっこいいよチャンミン。そして、彼女さんもすごいと思う。普通、世界的に活躍するスーパースター チャンミン様とお付き合いしていたら、「うちの彼氏、チャンミンなんだよね。激ヤバっしょ?」と言いふらしたい欲にかられるにちがいない。しかし、今流行の「匂わせ」がまったくなく、1枚も写真が流出していないのもすごいことだ。彼女さん(あ、もうフィアンセか)も、相当人間のできた素敵な人なんだろうな…と想像する。

 

ということで、チャンミンはやはり誠実でかっこいい素晴らしい人であることが改めて証明されてしまった。困った。こんなの、愛さざるを得ないではないか。ということで、私はこれからも東方神起、そしてチャンミンを崇拝し続けるし、布教活動も行っていこうと思っている。少しでも興味のある方は、ご連絡ください。(壷を売りつけたりはしませんのでご安心ください)

食の欲

私は食いしん坊だ。そんじょそこらの食いしん坊だ。「食べること」が好きな人は多い。人間の三大欲求の一つだからな。私が専門学生だった頃、お昼ご飯を食べていたら友人が「あぁ、もう食べるのめんどくさい」と言って、弁当を傍らに置いてパソコンで作業を始めたときには心底驚いた。食事を止める理由が「お腹いっぱい」ではなくて、「めんどくさい」なんてことがあってたまるものか。もう1人の友人は、一人暮らしを始めて「ご飯を作ったり、買いに行ったり、食べてる時間より、ゲームしていたい」という訳のわからん理由でどんどん痩せていった。今までそんなヒトに会ったことがなかったもので、私の脳内の世界はちょっとパンチをくらったみたいにグラグラ揺れた。その時は「食欲を忘れて熱中できることがあってかっこいい!」なんて思ったけれど、私はモグモグ食べ続けたし、おかげさまでずっと健康体である。そういえば、その時の私は今より5~6kgくらい体重があって、ちょっぴりプクプクしていたのだが、1人の痩せた女がことあるごとに「健康的だね」と言ってきて腹が立った。「健康的だね」とは時に、悪口になるのである。覚えておいてほしい。少なからず、その女には悪意があった。私にはわかる。年頃の女の子の容姿をとやかく言う奴に、ろくな奴はいない。これ絶対。とにかく、今も昔も食べることが大好きな私だが、今も昔もナイスバディへの憧れは強い。過去に一度「脂肪燃焼スープダイエット」なるものに挑戦したことがある。それはたくさんの野菜をグツグツ煮込んだスープ以外、食べてはいけないというルールのものだ。逆にスープはいくらでも飲んでいいのだ。なら簡単ではないか、と思い、まるで魔女のごとく大きな鍋で野菜スープを作った。1日目は余裕。ただ、レシピどおりに作ったので苦手なセロリもちゃんと入れてしまい、セロリの匂いが気になる。2日目にして、飽き始める。「今日のお昼は何食べよう」「今日の夜ごはんは何かな」と考える必要がない。これは脳の容量の有効活用にはなるのかもしれないが、楽しみがまるで見出せない。3日目の昼まで頑張ったが、夜には我慢できず、母が用意してくれた白米とトンテキを食べた。そのトンテキのうまさたるや。母と姉はトンテキのうまさに感動して泣きながら頬張る私を爆笑しながら見ていた。そんな苦い経験で、私の人生における食事のウエイトの大きさに気づくとともに、セロリへの苦手意識が倍増した。最近、ようやく「満腹=幸せ」ではないと理解しはじめた。(お腹いっぱい食べられる国に住んでいることは大いに幸せなことだが。)お腹がいっぱいになると苦しいし、いろいろな行動に支障をきたす。確かにたくさん食べた“満足感”は味わえるが、少しの“罪悪感”もそこにはある。ビュッフェ形式の食事で、一度ぐるっとラインナップを確認し、たくさんの種類を少量ずつ皿に盛り付けられるようになるまで、25年かかった。フライドポテトをたくさん持ってこないようになるまで、25年かかったのだ。この食べ方ができる人こそ、真の大人だと思う。

もしも、近い未来に「食事をしなくても、このサプリメントさえ飲んでいれば大丈夫!」と謳う商品が誕生して、新たな食事のスタイルが確立されていったとしても、私は食卓で食べる食事を捨てないと思う。最近は料理をする機会が増え、時には「めんどくさいな」と思うこともあるが、生きることは総じてめんどうだ。サプリメントを活用して1分で栄養補給を終える人もいれば、前日からコトコト煮込んだビーフシチューをゆっくり味わう人間もいるのが、この世界なんだ。私は先ほどから、何を言っているのだろうか。きっとお腹がすいているんだ。

魔法の言葉

 

私は、ちょっと上等なお菓子やちょっと値が張る靴を買ったりするときに、おまじないとして「OLだから♪」を使っている。この言葉には(毎日頑張って働いて得たお金なのだから自分の好きなように使っていいのよ)と天使のささやきに似た効果がある。べつに、誰に咎められるわけでもないのだが、いつもは財布の紐をきつく結んでいる“自分自身”をゆるめさせる魔法の言葉だ。私自身、そんなに物欲が強い方ではないと個人的には思っている。しかし、私の姉は常に「このカバンほしい〜」「この靴かわいい〜」と言っている物欲モンスターであり、一緒に買物に行ったりすると、物欲がうつる。そう、物欲は感染するのだ。そして、私は最近、モンスターに会ってしまった。

最新のおまじないは「経済回す!」である。こんな情勢だから、お金を使って経済を回し、国を元気にしなければならないのだ。仕方が無いから、私は焼き肉を食べに行き、スニーカーを買おうと思っている。

2020年、夏

本当に未来は分からないものだ

甲子園のない夏が、来てしまう。

 

 

 

TCC年鑑をめくっていると、ハッとする広告を目にしました。

甲子園第100回目を記念して、朝日新聞社が2018年に掲載した広告です。

掲載元

各年の優勝旗が並ぶビジュアルの中、太平洋戦争の影響で1941-1945年の間が空白になっており、
「甲子園のない夏なんて、二度と来てほしくない。」というコピーには、“平和”を願う強い思いが込められているのが分かります。

 

まさか2年後に、予想もしない理由で「甲子園のない夏」が来てしまうなんて。

 

広告は時代を映す、なんて言うけれど、
今年の広告は何を訴えるのだろう、何を訴えればいいのだろう。

 

今回のことで、甲子園を目標に頑張っていた高校球児、飲食店を営んでいる人、卒業式ができなかった子どもたち、子どもたちをちゃんと見送れなかったと悔やむ先生、昼夜逆転で働いている人、配達員、夏に向けて準備する花火職人、医療現場で働く人……ほかにもたくさん。

普段直接関わることはないけれど、この世界にはいろんな人がいて、いろんな人のおかげで社会が回っていて、そんな場所でわたしは生きているんだな、と。
当たり前のことだけど、普段意識はしていないこと。

そんな、いろいろな人の気持ちを想像するきっかけになりました。

 

総理大臣でも、権力者でもないわたしには、なにもできないけれど、

想像力だけは、持ち続けたいと思います。

 

 

 

もうすぐ2020年の、夏が来る。

ライブ行きたい

おそらく、みなさんもそれぞれの「人生のBGM」といったアーティストがいると思う。

私にとってはそれが「RADWIMPS」だ。

 

中学1年のとき、ラジオから流れてきた音楽に一目惚れならぬ「一耳惚れ」した。

あの感覚は、人生でそう体験できないものだなと、今となっては思う。

それから、おこづかいでCDを買い始めた。授業中に、歌詞をノートに書きなぐった。

新曲が出るとなれば、火曜日の夕方にタワレコに行ってフラゲするのが至福だったのを思い出す。

 

高校生になって、初めてライブに行ってみようとチケット購入に試みたけれど落選してしまい、

ライブグッズのタオルだけ買って、Zepp名古屋の壁に外から耳を当てて音漏れを必死に聴いた。

その日初めて、壁に耳を当て続けると首がつることを知った。

 

 

私が初めてライブに行けたのは、会場がガイシホールになってからだ。

ライブ会場の一体感というものは、クセになってしまう魅力がある。

ドラムスの音が心臓の奥に響いてくる感じ、鼓膜が震えているのが分かるくらいの大音量、

それなのに、ボーカルの呼吸音まで聞こえるほどの静けさも存在する。

 

ライブは「ああ、この人たちを好きになってよかったな」と再確認する場所のような気がする。

そして、「ライブに行きたい!」という理由で、アルバイトも頑張れた。

 

 

唐突にこんな話をしだしたのは、

先日、RADWIMPSの楽曲がサブスクリプション解禁されたからだ。

 

ほとんどのCDを購入しているし、ウォークマンに音源は入っている。

それでも嬉しい、この感じはなんだろう。

 

 

実は、5月2日に開催されるライブに行く予定だったのだが、コロナの影響で延期になってしまった。

延期と言っても、次の予定はまだ未定。いろんなアーティストと、それを楽しみにしていたファンたちが、各所で悲しんでいる。

 

そして最近、RADWIMPSは「こんな時だからこんな歌を作ったよ」と、SNSを使って新しい曲を配信してくれた。

 

CDという物がなくても、音楽が聴ける技術がたくさん生まれていて、

それを使って生まれたてほやほやの曲がアーティスト本人の手で世に届けられる。

なんだか改めて、すごい時代になったもんだな、と思った。

 

 

先が見えないこんな時でも、いろんな人が何かを生み出していることに元気をもらえる。

 

 

なんちって。

 

ただ己の「ライブ行きたい欲」のままに書き始めたら、とりとめもない文章になってしまったけれど、まぁ、たまには良しとしよう。

 

 

またライブに行ける、その日を夢見て!

エンドレス靴下

靴下に穴があいてしまった。
靴下でも買いにいきたいな。

 

私は無印良品の「直角靴下」が好きなのだけれど、
3足で790円、みたいな売り方をしているんだよね。
「ほな、3足買うか〜」(突然のミルクボーイ)となって、
1足穴があいただけなのに、プラマイ“プラス”になってしまうという、
靴下が無限に増えていくループに陥るわけですよ。

 

でも、わたし、靴下すきなんですよね。
そんなこだわりはないのだけれど、
「くつした」って、ひらがなで書くとかわいいし。
優しい気持ちのときしか「くつした」って言わないでしょ?(ほんとか?)

 

でもね。致命的なのがね。
わたし、靴下を干すのは、すごく億劫なんです。
ピンチに一つひとつ挟んでいく動作、これがもうね。

 

靴下って干さなきゃだめなのか?
ぺいっ!って置いとくだけじゃ、だめなのか?

 

人生で換算したら、すごい数の靴下を挟むことになると思んだよね。

 

玉ねぎを干しておくやつみたいなネットを買って、
その中に靴下をぺいっ!と放り投げるのはどうだろう……

 

なんてことを、ずっと頭の片隅で考えている。

 

 

(もっと楽して生きたいのだけれど、いい方法ないかな…)と。

こういった類いの「生活を少しだけ良くしたい」系の話は
よく、噂の“なぎささん”に相談するんだよね。

 

なぎささんは、きっとこう言うんだろうな。

 

「そのネットが、邪魔じゃない?」って。

 

 

何気なく靴下を買いにいける日々は、もうすぐだろうか。

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