友人でも紹介してみる。
大学時代の友人がフリーランスのカメラマンとして独立して8年が経つ。
もともと海外を旅するときの記録用として、フィルム時代の一眼レフカメラを触っていた彼だが、いつのまにかそれでメシを食っている。プロになってからも旅のクセは抜けず、旅の写真をメインの仕事にしようとなんとか頑張っているようだ。
そんな彼に転機が訪れたのは3年ほど前だったか。貧乏旅行作家の草分け的存在である下川裕治氏から声がかかり、下川氏に同行して書籍の写真を撮るようになった。現時点で「鈍行列車のアジア旅」 「週末アジアでちょっと幸せ」という文庫本に、共著というかたちでまとまっている。昨年の夏には取材中に撮りためたアジアの写真で初の個展も開いた。
僕も旅好きだから、第三世界に暮らす人々にカメラを向け続けるということとが、簡単ではないということは想像できる。しかし、彼のファインダーの向こうにいるタイの子供やフィリピンの貧民の表情は、極めて自然であり豊かにも映る。どのようにして懐に入っいくのか。技術論ではなく、無意識にシャッターを切っているのが彼のやり方な気もするが。
去年、僕は結婚した。
酒をこよなく愛する彼は、千鳥足になりながらも新婚夫婦にレンズを向けていた。
ひと月ほど経ち、彼からデジタルデータと一冊のアルバムが送られてきた。今、改めてそのアルバムを開いてみると、写しているはずの彼の存在を感じる。そこに写っている我々もタイの子供とダブって見える。
昨今デジタル化が進み、写真はあまりに身近なものになった。
そこで撮影し、そこでソーシャルメディアを介して世界に公開することも日常となった。
しかし彼の作品を見ていると、写真が狭く頑固なものにも見えてくる。
オリジナリティーをもっていれば、無限にも見える今日の情報世界でもアイデンティティーを見失うことはない。
もし彼にプロダクトや建築を撮らせてみても、そこにもやはり彼がいるのだろう。