平均値を語らない。
上のタイトルは、
先日の取材で、ある大学の学長から発せられた言葉。
約1時間半の取材はとても面白く、
何度もウンウンとうなずいてしまったのだけど、
中でもこの言葉が強く印象に残っている。
話の内容を簡単にいってしまうと、
いろいろな進学雑誌や記事の中で、
高校生の傾向やきれいに整理されたデータを見せているけれど、
こんな多様な時代の中で平均値を語ったところで意味がない。
さまざまな興味や志向をもった学生を大学がどう受けとめていくのか。
自分たちの目指すものがはっきりしていれば
まわりに関係なくやることは自ずと決まってくる。
(…すいません、簡単にするとこんな感じですが、
もっと面白い話だったんです……)
そういえば、別の取材で現在の就職活動についてお話を聞いた時も、
企業は学生に「個性」とか「自分らしさ」を語らせる一方で、
何重もの面接をやっていくうちに、個性が強い学生は振り落とされてしまい、
挨拶ができるとか、元気があるとか、普通の子が残ってしまうことがあるらしい。
これはつまり、個性の強い人は合わない人も出てくる可能性が高く、
多くの人の目を通すうちに、採用の基準が平均化されてしまうということのようだ。
これを聞いたときは、
担当者さんとの話では「いいね!」と話していたのに、
上へ上へと上がっていって、帰ってきたときには全く別のものになってしまった
数々のお仕事たちを思い出してしまった(笑)。
以前、就職活動のツールをつくるにあたって、
実際に学生さんの意見を聞いていると話したのだけど、
やっぱりいろんな人がいて、いろんな意見がある。
どれも「なるほど」と思う意見だったりするのだけど、
もしすべての意見を取り入れてしまうと、
それはとても普通の、つまらないものになってしまう。
だからそこは、私たちの「これを使って欲しいんだ!」
「私たちはこれをすすめたい」っていう気持ちを大事にしたいなって思ってる。
時にはそんな、作り手の強い気持ちを出すことも
必要なんじゃないだろうか。
平均点ばかりを目指してしまったら、
きっと気づいたときには落第点になっているんだろうな…。
そんな気がする。