あるいは器用貧乏
昨晩の、某知らない世界のテーマ「左利きの世界」
左利きの人は右寄りにある自販機の小銭投入口が使いづらい。
左利きの人は自動改札が左側にあってほしいと思っている。
左利きの人はハサミの刃に阻まれる。
そんな身近な左利きあるある、
番組では「苦労する」「切ない」という方向で紹介されていましたが、
実際のところは、別に気にせず生活できるよ、というのが元左利きの私の見解です。
左利きに生まれついた子供たちはまず往々にして親から利き手矯正を施されます。
私は鉛筆を矯正されました(毛筆・筆記体が書きづらいという理由です)
その他、矯正が及ばない細々したこと、それこそ前述の小銭投入口なんかは
世界に矯正されます。
小銭投入口が右にあるから右手を使うように適応する。
自動改札が右側にあるから右手を使うように適応する。
学校には右利きのグローブしかないから体育で適応する。
こうして知らぬ間に、左利きはじわじわと世界に矯正されていきます。
そして私は、右で字を書き(左で書けなくなった)、左で箸を使い(右は使えない)
右で球を投げ(左は飛ばない)、左でラケットを操り(右は言うこときかない)
すっかり「利き手」が分からない体になりました。
世界に矯正され続けている元左利きによく現れる利き手シャッフル。
両手どちらも同じように使いこなせる両利きと違い、
事柄によって使いやすい「利き手」がスイッチするこれ、「交差利き」と呼びます。
というわけで私は交差利きです。
正直、両利きになりたいです。